※この記事はアニメ『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』第2期までのネタバレを含みます。
『無職転生』を見ていて、僕が一番引っかかるのは魔法でも冒険でもありません。
人間関係です。
ルーデウスは、人生をやり直したからといって急に立派な人間になるわけではない。相手の気持ちを読み違えるし、自分のことで精いっぱいになるし、傷つけば逃げる。せっかく築いた関係を、自分から壊しかけることもあります。
それでも、少しずつ人と関わり直していく。
僕はそこに妙なリアルさを感じます。
僕自身、昔は引きこもっていた時期があります。今は会社員として働き、結婚して、子どもも生まれました。自分でも人生の変化としてはかなり大きいと思います。
だから『無職転生』を見ていると、昔ならルーデウスの「うまく人と関われない側」にばかり感情移入していたところを、今はその周りにいる家族の側からも考えるようになりました。
特にそう感じたのが、パウロとの再会と、ノルンが引きこもるエピソードです。
人間関係が苦手な人間に必要なのは、失敗しないことではないのかもしれない。
失敗したあとに、もう一度その関係に戻る力なのではないか。
そんなことを考えました。
『無職転生』でリアルなのは、人は簡単には変わらないこと
「異世界に転生して人生をやり直す」と聞くと、前世の失敗を全部リセットして、今度は完璧な人生を歩く話にもできそうです。
でも『無職転生』は、あまりそうならない。
環境が変わっても、その人自身が抱えている弱さや怖さはかなり残っています。
ルーデウスは成長します。でも一直線ではありません。
誰かと出会って少し変わり、失敗して落ち込み、また誰かに助けられて動き出す。その繰り返しです。
この感じは、自分の人生を振り返っても分かります。
僕も引きこもりを抜けた瞬間に、別人になったわけではありません。
ゲーム仲間とのオフ会をきっかけに外へ出て、東京で一人暮らしをして、コンビニで働き、人付き合いが少しずつ増えていった。会社員になってからも、人間関係が突然得意になったわけではありません。
環境が変わり、経験が増え、できることが少しずつ増えただけです。
以前、その経緯は「引きこもり経験から社会復帰まで|不安より楽しみを選んだ僕のストーリー」という記事にまとめました。
今回書きたいのは、そこから先の話です。
引きこもっていた人間が社会に出たあと、結婚して、家族を持った。
すると今度は、自分が「理解してほしい側」だけではいられなくなりました。
パウロとの喧嘩で感じた「正しいだけでは関係は戻らない」
第1期のパウロとの再会は、かなり印象に残っています。
ようやく父親と再会できたのに、感動の再会にはならない。
ルーデウスにはルーデウスの事情があります。必死に生き延びてきたし、エリスを守りながら帰ろうとしてきた。
一方のパウロにも事情がある。家族が散り散りになり、妻も見つからず、自分も余裕を失っている。
どちらにも言い分があります。
だからこそ、噛み合わない。
人間関係で厄介なのは、片方が100%間違っているケースばかりではないことだと思います。
自分の立場から見れば、自分の主張にはちゃんと理由がある。
相手にも同じように理由がある。
それを「どちらが正しいか」で決着させようとすると、正論で勝っても関係は戻らないことがあります。
パウロとルーデウスの話で印象的なのは、最終的に二人がもう一度向き合おうとするところです。
僕自身も、結婚してからこの感覚は以前より分かるようになりました。
ちょうどルーデウスが結婚し、家庭を持っていく流れを見たのは、自分の結婚式を終えた後の時期でした。不器用な人間が誰かと家庭を作っていく姿が、それまで以上に自分事として見えたのを覚えています。
夫婦で意見がぶつかったとき、論理的に整理すれば「こちらの方が合理的だ」と思うことはあります。
でも、家庭は議論大会ではありません。
相手を言い負かしても、夫婦関係が良くなるとは限らない。
必要なのは「自分は正しかった」で終わることではなく、その後どうやって同じ場所に戻るかです。
これは仕事の人間関係でも、親子でも、たぶん同じなのだと思います。
ノルンが引きこもった時、昔の自分とは違う見方をした
僕が特に感情移入したのは、第2期17話「兄貴の気持ち」です。
ノルンが学校の寮に引きこもってしまう。
ルーデウスは、その姿に前世の自分を重ねます。
僕も引きこもっていた経験があるので、この設定だけでもかなり刺さりました。
ただ、見ながら考えていたのは「ノルンの気持ちが分かる」ということだけではありませんでした。
むしろ逆です。
もし、自分の弟が引きこもったらどうするだろう。
僕には弟がいます。
自分が引きこもった経験がある以上、弟が同じ状態になれば多少は気持ちを想像できるかもしれません。
「放っておいてほしい」
「正論を言われても動けない」
「心配されること自体がしんどい」
そういう感覚は分かるつもりです。
でも、だからといって適切に助けられるかというと、まったく自信がありません。
何もしなければ、「家族なのに放っておいていいのか」と思うでしょう。
声をかけ続ければ、それが本人への圧力になるかもしれない。
外へ連れ出そうとすれば、余計に閉じこもるかもしれない。
逆に、ずっと待っていることが本当に正しいのかも分からない。
自分が経験したことだからこそ、簡単に「こうすればいい」とは言えなくなりました。
「経験者だから分かる」は、たぶん半分しか正しくない
以前の引きこもりの記事では、自分が外へ出られた経験から、親の立場ならどう接するかも考えました。
強制しない。
軽く誘う。
小さな外出から始める。
外のコミュニティにつながるきっかけを作る。
今でも、自分の経験としては間違っていないと思っています。
ただ、ノルンのエピソードを見て改めて考えると、それはあくまで「僕には合った」という話です。
僕の場合、ゲーム仲間とのオフ会で「不安より楽しみ」が勝ったことが大きな転機になりました。
でも別の人に同じ方法が効くとは限りません。
むしろ一度うまくいった経験がある人ほど、
「自分はこれで抜け出せた。だからあなたもこうすればいい」
と言いたくなる危険もあります。
それは支援というより、自分の成功体験の押し付けになってしまうかもしれない。
ルーデウスとノルンは似ている部分があります。
でも同じ人間ではありません。
僕と弟も違う。
僕と息子も違う。
自分の過去は、相手を理解するための材料にはなる。
でも、相手の答えそのものにはならない。
今はそう考えています。
結婚して父親になると、「理解してほしい側」だけではいられない
昔の僕は、かなり長い間「自分を理解してほしい側」だったと思います。
なぜ動けないのか。
なぜ人と会いたくないのか。
なぜ普通にできないのか。
自分の内側にいると、周囲が簡単に言う「学校へ行けばいい」「働けばいい」「外に出ればいい」が、とても遠い話に聞こえることがあります。
でも今は結婚し、子どもが生まれました。
これから先、息子が学校へ行きたくないと言う日が来るかもしれません。
人間関係で傷ついて、部屋から出たくない時期が来るかもしれない。
そのとき僕は、かつての自分の親と同じ「外側にいる人」になります。
これは少し怖いことでもあります。
自分は経験者だから、子どもの気持ちを理解できる。
そう思い込む方が危ないかもしれません。
息子には息子の理由があるからです。
僕が引きこもった理由とも、抜け出したきっかけとも違うかもしれない。
親になったからといって、相手の人生の攻略法が手に入るわけではない。
むしろ、答えが分からない状態で一緒にいることの方が多いのだと思います。
支える側ができるのは「正解を当てること」ではないのかもしれない
では、何ができるのか。
正直、まだ分かりません。
少なくとも僕は、「引きこもり経験者が教える正しい支援方法」を書けるとは思っていません。
専門家でもありません。
ただ、自分が経験した側として、忘れたくないことはいくつかあります。
外から見れば簡単に見える問題でも、本人の中では簡単ではないこと。
正論が正しくても、その人を動かせるとは限らないこと。
自分の経験と相手の経験は、似ていても同じではないこと。
そして、関係がうまくいかなかったときに「もう知らない」で終わらせないこと。
これくらいです。
『無職転生』の人間関係を見ていると、誰かが完璧な答えを出して全部解決する場面より、間違えたり傷つけたりしたあとに、もう一度相手のところへ戻る場面の方が記憶に残ります。
たぶん僕がこの作品に惹かれる理由もそこにあります。
人間関係は「解決」するより「修復」するものなのかもしれない
人間関係の悩みには、つい「解決方法」を探したくなります。
こう言えばいい。
こう接すればいい。
この考え方をすればうまくいく。
もちろん、役に立つ方法はあります。
でも家族のように長く続く関係では、一度の正解ですべてが解決することの方が少ないのかもしれません。
夫婦でも親子でも兄弟でも、たぶんまたすれ違います。
そのたびに、関係を終わらせるのか。
少し時間を置いて、もう一度話すのか。
相手の話を聞き直すのか。
自分が間違っていた部分を認めるのか。
僕にとって『無職転生』は、「人生をやり直したら成功できる」という話よりも、不器用な人間が何度失敗しても人との関係を作り直していく話として響いています。
僕自身、人間関係が上手になったとは思いません。
今でも面倒だと思うことはあるし、逃げたくなることもあります。
それでも昔と少し違うとすれば、逃げたあとに「戻らないとな」と考えられるようになったことです。
引きこもっていた頃の僕は、部屋の中で人間関係そのものから距離を置いていました。
今は妻がいて、子どもがいて、弟もいて、仕事でも人と関わっています。
もう、人間関係を全部なくして生きることはできません。
でも、それは悪いことばかりでもありませんでした。
うまくできなくても、また戻ればいい。
相手のことを全部理解できなくても、分かったつもりにならずに向き合えばいい。
完璧な夫や父親になることより、間違えたときに関係へ戻れる人でありたい。
『無職転生』を見ながら、今はそんなことを考えています。
まとめ
『無職転生』に出てくる人間関係は、きれいではありません。
親子ですれ違い、兄妹で距離ができ、恋愛でも失敗する。
でも、人間が急に完成しないからこそ、僕にはリアルに見えます。
引きこもっていた頃の自分なら、「分かってもらえない側」のルーデウスに共感して終わっていたかもしれません。
今は少し違います。
もし弟が引きこもったら。
もし息子が学校へ行けなくなったら。
もし妻との関係がうまくいかなくなったら。
今度は僕も「支える側」に立つことになります。
そのとき正しい答えを出せる自信はありません。
ただ、自分の経験を正解として押し付けず、相手には相手の事情があることを忘れず、関係が崩れても戻ってくる。
それなら、今の僕にもできるかもしれません。
人間関係が上手になったとは思わない。
ただ、昔より「逃げたあとに戻る」ことはできるようになった。
今のところ、それが僕なりの『無職転生』から学んだことです。
参考
・TVアニメ『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』第1期 第17話「再会」
公式サイト
・TVアニメ『無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気だす~』第17話「兄貴の気持ち」
公式サイト

