「同棲って、うまくいくんだろうか?」
遠距離恋愛から一転、ふたりで暮らすことになった。毎日一緒にいられる喜びと同時に、ほんの少しの不安もあった。けれど、僕は思い切って伝えた。
「転勤、決まったよ。東京。駅チカの物件で、一緒に暮らさない?」
そのときのもちこの笑顔は、今でもはっきり思い出せる。覚悟のはじまりだった。
遠距離のバイバイと、ふたり暮らしの意味
遠距離のころ、旅行のあとにバイバイするのが本当に苦手だったもちこ。
最初の何回かは、別れ際に人目もはばからず大泣きされて、正直焦った。
たしか初めての沖縄旅行のときだったと思うけど、どの旅行の帰りだったか、もう忘れてしまったくらい何度もあった。高速バス乗り場で見送ったあの日のことは、今でも忘れられない。
「またすぐ会えるよ」と言いながら、内心では僕も切なかった。
だからこそ、この“同じ家に帰る”生活が始まることは、ふたりにとって本当に嬉しいことだった。
駅チカ奇跡物件と、DIYの洗礼
物件探しは2〜3件。最後に見に行ったのは、正直あまり期待していなかった物件だった。掲載写真はリフォーム前で、いかにも昭和感満載。半ばネタ枠のつもりで行ったのに、内覧してみると驚いた。
中は完全リフォーム済み。床も壁も新品で、窓からの光も柔らかくて、駅のホームが見える。徒歩10秒。ダッシュすれば電車に3分で乗れる奇跡物件だった。
「これ、最強ですね!」と仲介営業さんが興奮していたのを覚えている。
即決だった。
引っ越し後は、DIYラッシュ。大理石柄のフロアシートを全面に貼るというもちこのアイデアに付き合い、ふたりでカッター片手に黙々と作業。隙間の調整や壁際のカットで、腰はバキバキ。作業が終わったころには、ふたりとも床に転がっていた。
襖を外してベッド下に収納したのは僕のアイデア。ぴったり収まったときの、ふたりのガッツポーズは小さな成功体験だった。
家具も大量に組み立てた。もちこが「これかわいい!」と即決した椅子は2年で崩壊。僕は心の中で「言わんこっちゃない」とつぶやいた。
ロボット掃除機、スマート照明、スマートロック……僕のスマート家電趣味が炸裂。だが、ロボット掃除機は段差に負けて2年で寿命を迎えた。
#もちこの寝相シリーズ、開幕
同棲初期の衝撃、それはもちこの寝相だった。
シングルベッド2つを並べて「これで喧嘩しないね」と笑っていたはずが、朝起きると僕の布団がなくなっていた。
中央に仁王立ちで寝ているもちこ。その姿は、まるで飛行中に寝落ちしたアンパンマンだった。
「ちょ、これは記録しとこ」
“#もちこの寝相シリーズ”と題して、写真に撮ってはニヤついていた(非公開)。
ある日は上下逆、ある日は猫のように丸まり、ある日は大の字。本人に見せると「これ、いいポーズじゃん!」とまさかの気に入りようだった。
TikTokに投稿しようか悩んだけど、下着が見えてたのでやめた。
味噌と唐揚げ、もちこの台所力
料理の腕前にも驚かされた。
実家で手伝ってたとは聞いてたけど、まさかここまでとは。
もちこは味噌と醤油を、祖父母の使っていたものを取り寄せているほどのこだわり派。僕には味の違いはよくわからないけど、味噌汁のうまさには毎回うなった。
「これ、実家のやつだからね」と言われるたびに、もちこのルーツを感じて、ちょっとだけ嬉しくなる。
唐揚げは完璧。外はカリッ、中はじゅわっとジューシーで、揚げたてを口に入れた瞬間、思わず「店出せるよ」と口にした。
僕は炊き立ての米命派。もちこは「え?冷えてても別に平気だけど?」と首を傾けていたけれど、最近は僕に合わせてくれている。
お弁当には、毎回手書きのメッセージが添えられていた。
「午後もお仕事ふぁいとー!!夜はあったかおなべ♡(時々もちこにもかまってね・・💦)」
「最近かまってあげれてなかったか・・」と反省しつつ、何気ないその一言が、午後の集中力を2時間分くらい回復させてくれていた。
カップルTikTokは3週間で終了
「ねぇ、TikTokやろうよ!可愛い系で!」
突然もちこが言い出して、vlog風の日常動画を撮り始めた。
「もっとかわいく撮って!」「この角度じゃダメ!」と、指示が次々飛んでくる。編集も彼女がこなし、完成度はそこそこ高かった。
だが、3週間後には「なんか違ったわ」と終了宣言。
理由は「メイク面倒」「編集疲れた」「バズらない」。
勢いで走って、さっと止まる。そのテンポ感すら、もちこっぽくて、嫌いじゃなかった。
幸せと衝突のちょうどいいグラデーション
同棲は甘いだけじゃなかった。
掃除はするけど、片付けは放置。 ご飯は作ってくれるけど、僕が洗い物に気づかないと怒る。
お互いマイペースだから、やりたいタイミングが噛み合わないとちょっとした衝突になる。年上の僕が生活費をすべて負担していたこともあり、家計のやりくりが苦しかった時期もあった。
正確には“完全な赤字”じゃない。独身時代の貯金ペースを維持していたからこそ、生活費が常にギリギリだった。
ある夜、思い切って切り出した。
「今月、ちょっとギリギリかも。旅行や外食とか、少し抑えたほうがいいかも」
もちこは、ちゃんと自分の美容院や化粧品代は自分で払っていた。でも、こうやって相談すること自体が、なんだか“怒ってるみたい”に聞こえてしまうようで、もちこは沈黙してしまった。
その沈黙が続いたあと、ぽつんと一言。
「……ごめん。怒られてるのかと思った」
違う。そうじゃない。ただ一緒に乗り越えたかっただけ。でも、その想いを伝えるのは思っていたよりずっと難しかった。
気づけば、相談を避けるようになっていて、僕も苦しくなっていた。
爆発なんてしてない。けれど、もちこにとっては“突然の爆発”に見えたのかもしれない。
そのあと、ふたりでゆっくり話した。やっと“相談”と“叱責”の境界線が、少しだけ見えてきた気がした。
それでも、思う。
布団を奪われても、 TikTokが途中で終わっても、 衝突があっても、弁当に書かれた「ふぁいとー!」が、すべてをチャラにしてくれる。
そして、もちこが「今日の味噌汁、うまくできたかも」と嬉しそうに笑うとき、僕は心の中で「この暮らし、悪くないな」と静かに思う。
ふたりのペースはまだ探り探り。でも、この時間が少しずつ“わたしたちの暮らし”になっていく感覚が、なんとも心地いい。
完璧じゃない。むしろ予想外だらけ。
でも、次の記念日も、その先の季節も、この部屋で迎えたいと思っている。
覚悟って、大げさな決意じゃなくて、『それでも一緒にいよう』を毎日更新し続けることなんだと思う。
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